Christmas 2014「冨嶽三十六景」

    2014年のクリスマスコースのテーマは「冨嶽三十六景」でした。
    連作、その中でも葛飾北斎が描いた冨嶽三十六景を追求し、料理で「冨嶽三十六景的なものを表現するならばどのような形か」ということを考えてコースを作りました。

    もちろん「ご飯を高く盛って富士山に見立てる」というようなものではなく、あくまでその「イズム」をスペイン料理に落とし込んだ形です。

    以下当時の料理説明をそのまま載せています。

    追記ですが大前提としてこれは「料理」なのでこのような背景を全く知らずとも美味しく召し上がって頂けるようにお作りしています。素晴らしい音楽や絵画がその背景など知らずとも素晴らしいと思えるように。

    ものすごく突然ですが、「連作」といえば、何を思い出しますか?

    ネット検索すれば、農作業の「連作」がはじめに出てきます(私にとっては意外でした)。

    私は絵画が好きなのでモネの「睡蓮」や「ルーアン大聖堂」が思い浮かびます。

    クラシック好きの方なら「モルダウ」で有名なスメタナの「わが祖国」でしょうか。

    「連作」というのは
    「あるテーマに基づいていくつかの作品を作り、全体として一つの味わいを出そうとする作り方、またはその作品(大辞林第三版より)」
    だそうです。

    「テーマに基づいた作品」というのはここ2年のクリスマスコースのコンセプトでもあります・・・・なら、それを使わない手はない!ということで今年のクリスマスコースのテーマは「連作」に決定しました(^-^)

    今年もこのページでダラダラと(笑)クリスマスコースの紹介をしていきますので、お時間もあり、且つご興味もある方はどうぞご覧になって下さい♪  

    クリスマスコースのテーマを「連作」にすると決めたわけですが・・・

    「連作」と言っても一括りにするのは難しいほど、それぞれの芸術家によりスタイルが違います。

    では自分の作るコース料理はどれを模範にすれば良いのか・・・ということで料理を考える前に自分のイメージに合う「連作」を探すことにしてみました(いつもこうやって遠回りをしてる気がします・・笑)。

    「連作」が多いのはやはり絵画でしょうか。
    古いので言えば、初期ルネサンスのピエロ・デッラ・フランチェスカは「聖十字架伝説」で物語を連作として描いてますし、マニエリスムのアルチンボルドも連作で「四季」を表現しています。
    ルーベンスやピカソのような巨匠も連作を残しています。

    そんな中で連作と言えば、やはりモネ。
    「積み藁」「ポプラ並木」「ルーアン大聖堂」「セーヌ河の朝」「睡蓮」
    など、様々な連作を残しています。

    万物はその時の気象条件により刻々とその表情を変えていくため、
    モネは「自分が感じている風景、空気を描き、鑑賞者にも追体験して欲しい」という思いで描いたそうです。

    2年程前にひろしま美術館で「セーヌ河の朝」を並べて展示していたことがあり(1点は真作で他は複製画)、その際に同じ景色でありながら表情が全く違うことに驚きました。
    並べて観賞するとその良さがよくわかります(なかなか難しいでしょうが)。

    これを料理に置き換えると「同じ料理でありながら表情を変える料理」、、、、、うーん、難しい。ちょっと保留しときます(゜∇゜)

     続いて気になった連作はクリムトの「ベートーヴェン・フリーズ」。「第九」の「歓喜の歌」を第一から第三までの場面に分けて絵画化した連作です。

    それぞれの場面に物語が描かれ、ギリシア神話の神々が登場し、最後は「抱擁を受けよ諸人よ、この口づけを全世界に」という歓喜の歌の一節を表現して連作が終わります。

    そこに描かれたのは「人が苦悩し、闘い、癒され、愛し、歓喜を得る」という壮大な物語です。

    そんな大それたテーマには挑めませんが、「物語」を連作で表すというのは非常に興味あるテーマです(^-^)

    ・・・それにしても、レストランのFBページのくせに全然料理写真アップしてませんね(°□°;)
    次はまかないでも載せます(笑)

    「連作」をテーマにしたクリスマスコースのために、絵画からのヒントを探したわけですが、音楽ではどうかと、考えてみました。

    例えば私の好きなムソルグスキーの「展覧会の絵」は、夭折した画家の友人ヴィクトル・ハルトマンの回顧展をムソルグスキーが「鑑賞していく」様を表現したピアノ組曲です。

    これもひとつの「連作」であり、展覧会の情景とそれぞれの絵に対する印象が「聴こえる」作品だと思います。

    これを料理に置き換えてみるのはとてもおもしろそうです(^-^)
    蛇足ですが、手塚治虫は実験アニメーションとして「展覧会の絵」をメッセージ性を込めたアニメとして「編曲」しています。秀逸でとても好きな作品です。

    これをクリスマスコースにするのも良いのですが、これはこれで「連作」とは別のテーマで楽しめそうなので、、またの機会に・・・。

    ・・・などと考えていたのが今年の5月。
    そんな中、神戸市立博物館で見たある作品にヒントを得ました。

    話は少し飛びますが、、
    先月、長野県の小布施へ行ってきました。
    長野から長電に乗って約30分、江戸時代から交通の要所として栄え、栗の名産地としても有名です。

    ちょうど栗の旬の時期にあたり、栗の茶巾絞りや御強など堪能できました(^-^)
    日本酒もおいしいものが多く、特に桝一市村酒造の大吟醸純米生酒の「碧漪軒 (へきいけん)」は心に残り、お店に置こうかとも思っています。

    と、、、実はこれらは旅の「おまけ」で、本命は別にありました。

    私が栗料理を堪能した「小布施堂」の第十二代当主、高井鴻山は江戸末期の豪商で、佐久間象山などとも交流があった思想家、そして浮世絵師でもありました。

    自身が37歳の時に入門した相手は「葛飾北斎」。
    その時北斎は83歳。
    以降約3年半、北斎は鴻山の元をたびたび訪れ、小布施に肉筆画(刷物ではない、直筆の絵画)を数点残しています。

    これを見るのが旅の本命でした。

    私が5月に出合ったのは「葛飾北斎」。
    「ボストン美術館浮世絵名品展 北斎」で見た浮世絵でした。

    時間は5月の展覧会に戻ります。

    「浮世絵=版画」くらいの印象しかなかったのですが、
    「ボストン美術館浮世絵名品展 北斎」でガラッとその印象が変わりました。

    大胆な構図、繊細な線描、ベロ藍を中心とした鮮やかな色使い、
    私見ですが、西洋のエッチングやリトグラフに比べて細やかな芸術に思え、
    まさに日本を代表する絵画だと思いました。

    北斎も連作を描いています。
    「諸国名橋奇覧」、「諸国瀧廻り」、「百人一首姥か絵説」など。

    そして有名な「冨嶽三十六景」。

    冨嶽三十六景を見た時に何よりも驚いたのは、それらを北斎が70歳を過ぎてから描いたということ。
    「化政文化」の人というイメージがありましたが、上記作品は天保年間に制作されています。

    富士山を中心とした連作は、その描写や色使いもさることながら、
    構図により表情を変えていくそれを絶妙に表現しています。
    まさにこれだ、と思いました。

    一つの素材を中心にした連作。

    そこから少しずつクリスマスコースの形が見えてきました。

    歴史の教科書では、

    菱川師宣 – 見返り美人図
    東洲斎写楽 - 大首絵
    喜多川歌麿 – 美人画
    歌川広重(子供の頃は安藤広重で覚えました) – 東海道五十三次

    のようにセットで覚えて「それらを正しい組み合わせにしなさい」とテストで出ました(>Σ<)

    そして葛飾北斎の組み合わせは冨嶽三十六景です。

    歴史の教科書では、興味を持たない限り、その人物を深く知る事はなかなかできません。

    北斎は、数えで19歳の時に絵の道に入り(当時としては遅い)、
    勝川派をはじめとした様々な流派を学び、
    30回の改号と93回の引越しを経て、90歳で没する。

    北斎はその時に良いと思った技術をどんどん取り入れ、絵画は常に変化し続けました。
    改号、引越しのエピソードの原点にはその作風を生み出すエネルギーがあるのではないかと思います。

    その作画の根幹には、
    定木やぶんまわし(コンパス)などを使用した理知的な姿勢があります(略画早指南前編より)。

    冨嶽三十六景でも「甲州石班沢」や「深川万年橋下」など意表をつくような描写があり、
    それらも全て計算され構築された絵図だと知り、驚きました。

    死を前にし、「自分があと5年も生きられたら今よりもっといい絵を描けるのに」と最後まで絵師であり続けた人物です。
    (「冨嶽百景」の跋文(あとがき)には「百数十歳ともなれば、一点一画が生き物のごとくなるであろう」と百数十歳まで生きても絵師であり続ける気概が書かれています)

    さて、非常に遠回りをしましたm(-_-)m

    江戸時代に庶民から愛され、信仰があった冨士を様々な角度から描いた冨嶽三十六景。
    この連作に見立てたコースを作るのに必要不可欠な一つの素材。

    それは「玉ねぎ」です(^-^)

    さて「玉ねぎを使う連作」に決めました。

    玉ねぎはとにかく重宝する食材です。
    生で良し、煮て良し、焼いて良し、揚げて良し、とどんな調理法にも合い、また調理法により大胆に味が変わります。主役級の名脇役だと思って扱っています。

    玉ねぎは古代エジプトで既に栽培されていて、ピラミッド建設の際に労働者に玉ねぎ(にんにくという意見もあります)を与えて精力をつけさせたとも言われています(+パンとビールも)。
    地上の葉の成長が止まり、養分が地下の葉の部分に蓄積され大きくなり、あの形になり、食用とされます。

    ちなみに玉ねぎとねぎは生物学上の分類は同じものです。ただ玉ねぎは古代オリエントを中心に生産され、ねぎは中国西部を中心に生産されたため、分化したようです。
    玉ねぎが日本で本格的に栽培されはじめたのは明治に入ってからですが、ネギやにんにく(同じくユリ科ネギ属)は平安時代の「延喜式」に栽培方法がすでに記載されてたそうです。

    生で食べると辛い玉ねぎが加熱するとなぜ甘くなるか。
    実は玉ねぎは生の状態でも苺と同じくらいの糖度があります(ちなみにレモンも同じです)。
    しかしいくら糖度があっても辛味成分である硫黄化合物が玉ねぎの甘さを隠してしまいます。
    そこで加熱をしてやることによって硫黄化合物を揮発させると、苺に匹敵するくらいの甘みが残る、というわけです。

    ・・・すみません、長い玉ねぎ解説になってしまいましたm(-_-)m

    さて、そんな玉ねぎで連作を作るわけですが、ただ玉ねぎを冨士に見立てただけでは「冨嶽三十六景」の『イズム』は踏襲できず、ただの「玉ねぎをどの料理にも使ったコース」になります(笑)

    では『イズム』とはどのようなものか。

    次回へ続きます!

    写真は丹波の青垣辺りで撮影したものです。
    昔なつかしい(って私が子供の頃は近所でこういう風景には出会わなかったですが)風景です。

    冨嶽三十六景の冨士を玉ねぎに見立ててコースを作るとしたら、どういうコースにするか。

    北斎が冨嶽三十六景を作成した背景には、冨士信仰と旅行ブームがあります。

    冨士信仰とは、冨士山を神聖なものとして崇める古来よりある山岳信仰の一つで、東京都内には富士山に見立てて造られた富士塚が現在も各所に残っています。

    もう一つの背景は江戸末期の空前の旅行ブームです。天保元年の1830年には伊勢神宮へのお蔭参りに5ヶ月足らずで427万人もの旅行者がいたと記録されています(当時の人口は約3000万人)。

    街道が整備され、各宿場に旅籠が立ち並び、今でいう旅行代理店の御師たちが活躍し、人々は制約がありつつも、旅行を楽しんだといいます。

    そんな時代にあって、冨嶽三十六景は現代でいう「旅の絵葉書」だったのでは、と思いました。

    全46図。信仰のあった冨士山を様々な場所から描き、その大自然とそこにいる人々の姿を対比させた風景画を浮世絵として刷り、人はそれを買って、見て、旅行したような気分になれたのではないでしょうか。

    つまり、冨嶽三十六景を模倣した料理は「旅をするコース料理」です。

    玉ねぎを味わいながら、旅をする場所はもちろん、スペイン。
    (やっとスペインに繋がりました笑)

    全10皿のコースでスペインの各州をこれから回っていきたいと思います(^-^)

    スペインの著述家、サルバドール・デ・マダリアガをして「ヨーロッパの縮図」であると言われたイベリア半島。

    カルタゴ、ローマ、西ゴート、後ウマイヤと支配国が変わり、キリスト教徒によるレコンキスタ(国土回復運動)、イスラム、ユダヤへの弾圧、ハプスブルク家の栄光、継承戦争、そして内戦と独裁、とざっと見ても、多くの物語を持つ歴史があります。

    スペインは山岳地形のため、地域の多様性が失われることなく、現代まで続いてきました。
    「スペイン料理って何?」と聞かれることが多いのですが、あまりに地域ごとの特性が違うため、「トマトとオリーブとにんにくを使った料理です」と答えています(^-^)

    例えば、皆様ご存知の「パエリア」はバレンシア州の郷土料理です(これについてはカタルーニャ州で異存があり、論争を巻き起こしています。これはまた別の機会に)。
    ですので、カスティーリャの小さな町で「パエリア下さい」と言っても、ありません(観光地は別です)。

    そんな特色ゆえ、どの地域も「おらが村」状態で、郷土愛が非常に豊かです(私見)。

    クリスマスのコース料理に合わせてそんなスペインを旅してみましょう。

    旅はアストゥリアス州から始まります!

    711年、北アフリカ総督ムーサの有能な指揮官ターリックは、ジブラルタルを渡り、イベリア半島の西ゴート王国軍を撃破していき、残すは北方の山中に要塞を築き、立てこもった豪族ペラヨを討ち果たすのみになりました。

    しかしあともう一息、というところでダマスカスのカリフからターリックに帰還命令が届きます。
    ペラヨ率いるゲリラ軍がもし殲滅されていたら、スペインは今イスラムの国だったかもしれません。

    ペラヨはその北方で建国します。国の名前はアストゥリアス。その約10年後の722年、コバドンガの戦いではじめてイスラム軍に勝利し、ここからキリスト教徒たちのレコンキスタ(国土回復運動)がはじまります。

    つまり、アストゥリアスはスペインという国のはじまりです。なので、現在も次代の王に「アストゥリアス公」の称号が与えられます(現在はアストゥリアス「女」公レオノール王女)。

    さて、現在のアストゥリアス。
    アストゥリアスといえば何といっても「シードラ(林檎の発泡酒)」が有名です。
    飲み方がユニークで、高い位置に瓶をかかげて、それを低い位置のグラスに注ぎます。だからグラスに入らなかったり、ちょっとでもずれると、ビチャビチャになります(笑)
    この「エスカンシアール」という飲み方で泡立ちが豊かになるとか(そりゃそうですね)。

    そして有名な料理はファバーダ。
    「ファバ デ ラ グランハ」という脂肪分の多い大きな豆を使い、チョリソやモルシージャといった豚の腸詰と一緒に生ハムのスープで煮込んだ料理です。

    そしてその代表的な料理を「ファバ デ ラ グランハ」ではなく旬である北海道産の「白花豆」を使ってつくります!
    肉厚で歯ごたえがあり、豆由来のほのかな甘みがおいしい食材です。

    まずはこの一皿からクリスマスコースが始まります(^-^)

    さて、ペラヨの建国したアストゥリアス王国は首都をレオンへと移し、レオン王国となります。
    その王国内でカスティーリャ伯爵が力をつけ、レオン王国を併合し、レオン・カスティーリャ王国となります。

    カスティーリャの名称は「砦(=カステーラ)」が由来で、この地域がイスラム教徒に対するレコンキスタ(国土回復運動)の最前線だったことを表します。

    その後、1479年にカスティーリャ王女イサベルとアラゴン連合王国太子フェルナンドが結婚し、キリスト教国家の巨大連合、いわゆるスペイン王国が誕生します。
    そして1492年、最後まで残ったイスラム王朝の首都グラナダを陥落させ、レコンキスタはここに完成します。

    ちなみに1492年はイサベル女王が派遣したクリストファー・コロンブスがアメリカ大陸を発見した年でもあります。しかし、イサベルは新大陸との貿易にアラゴン人やカタルーニャ人が参加することを禁じました。このあたりから現在も連綿と続くカスティーリャとカタルーニャの対立が始まります。

    話がそれましたm(-_-)m
    カスティーリャと呼ばれた地域は現在、カスティーリャ・イ・レオン州、マドリッド州、カスティーリャ=ラ・マンチャ州にわかれています(一部を除く)。

    スペインの中央部はメセタと呼ばれる乾燥した大地が広がっています。
    農民たちがここで慎ましい暮らしをしていたため、料理は素朴なものが多く、豆・野菜・肉を使います。

    ピスト・マンチェゴはスペイン版のラタトゥイユともいえる野菜の煮込みです。
    にんにく、玉ねぎ、パプリカなどをトマトと一緒に煮込み、卵を最後に合わせます。

    クリスマスコース二皿目はた玉ねぎの器に入れたピスト・マンチェゴを。
    下には卵黄で作ったソースをしいています。
    野菜の旨みがたっぷり詰まった一皿をお召しあがり下さい(^-^)

    さて、三皿目です(考えたらまだ三皿目・・クリスマスまでに終わるかな・・すみません、ちょっと計算間違えました笑)。

    カスティーリャと連合したアラゴン王国。
    アラゴン王国の誕生は1035年。

    カスティーリャとの連合の前に、まずバルセロナ伯領であるカタルーニャ君主国と連合します。その後バレアレス諸島、バレンシアをイスラム教徒から奪回し、さらにシチリア、サルデーニャ、ナポリを占有し、地中海に一大王国を築きます。

    現在、内陸地であるアラゴンの名に「地中海国家」のイメージは全くなかったので不思議な気がします。
    しかし、これを知っているとバレンシア出身と言われるバロックの画家ホセ・デ・リベーラがなぜナポリで活躍したかがわかります(今回のコースには全然関係ないですが)。

    私はアラゴンに行ったことはありませんが、
    バルセロナに滞在していた際にアラゴン出身のおばちゃんと出会う機会があり、
    その人に誘われて彼女が働いているアラゴン料理屋に食べに行ったことがあります。

    スペインのいわゆる「メニュー」は
    第1の皿と第2の皿、そしてデザートという3皿構成なのですが、
    第1の皿で私が選んだパエリアは日本での2.5人前くらい。
    第2の皿のうさぎの煮込みは軽く400gくらいはありました(笑)
    もちろん、食べられなくて申し訳ないことをしてしまいましたm(-_-)m

    話がそれましたが、それが唯一、私のアラゴンのイメージです(笑)

    さて、そんなアラゴン州の代表料理は「チリンドロン」。
    スペインのトランプ遊びが由来の名前ですが、
    ・・・・カタカナにすると、変な名前ですね(゜∇゜)

    チリンドロンは玉ねぎ、ピーマン、オリーブ、トマトなどを使ったソースの名前です。
    このソースを使い、何でも(!)煮込みます。
    なのでアラゴンは「チリンドロンの大地」と呼ばれています。

    鶏肉を煮込むならしっかりした肉の味があるものが良いと思い、播州百日鶏を選びました。

    丁寧に育成された鶏ならではの良質な味わいを「チリンドロン」で味わってみて下さい(^-^)

    照りつける太陽、乾いた大地、フラメンコと闘牛。
    そんな、スペインという国のイメージが一つも当てはまらない州がガリシアです。

    緑が多いため、「グリーン・スペイン」と呼ばれたイベリア半島の北西。
    平均年間降水量が1000~1500ミリ、年間気温変化は10度以下という、おおよそスペインのイメージとはかけ離れた気候の地域です。
    北はカンタブリア海、西は大西洋に面し、それぞれ海が陸地に侵入し、無数の入り江を形成しています。

    ガリシア語で「リアス」と呼ばれるその地形は、三陸などのリアス式海岸の語源にもなったように、漁港として適し、昔より漁業が盛んで、魚介類水揚げ高は、スペイン全土の45%を占めます(それでも農業と併せて、ガリシア州GDPの3.9%程)。

    ヘロドトスによれば紀元前5世紀までにはケルト人がイベリア半島に移住し始め、その中でも北西部に定住した部族を「ガラエキ」族と呼ばれたため、「ガリシア」の名がつきました。

    ポエニ戦役後のローマのイベリア半島への猛襲に対する最後の砦はガラエキ族でしたが、敗れ、ケルトの文化は失われます。

    その後、アストゥリアス王国に併合されますが、9世紀前半にこの地を一躍有名にする出来事が起こります。

    キリストの使徒大ヤコブの墓所が発見され、「サンティアゴ(聖ヤコブ)・デ・コンポステーラ(墓廟もしくはふさわしい場所の意)」と名付けられます。
    聖ヤコブはレコンキスタ(国土回復運動)の際に、キリスト教徒たちを導いた伝説の英雄ともされ、彼の地は、キリスト教三大聖地のひとつとして、今も多くの巡礼者たちが訪れます。

    さて、そんな巡礼者のトレードマークは「帆立貝」ですが、巡礼者たちが気軽に食べられるスナックとして用意されているのが「エンパナーダ」です。

    パン生地にイワシやツナ、ひき肉などと、たっぷりの炒めた玉ねぎを入れて焼くシンプルな料理ですが、これがおいしいんです(^-^)

    四皿目には「エンパナディージャ(小ぶりのエンパナーダの意)」を。
    ミナミマグロとドライトマト、そして玉ねぎをパイ生地(エンパナディージャの場合、パン生地よりもパイ生地の方が薄く軽く仕上がるため)に詰めて焼いた、ガリシアの歴史が詰まった料理をお出しします♪

    さて、そんなガリシアと打って変わって「ザ・スペイン」といえる州、フラメンコ、闘牛、タパス発祥の地アンダルシアです(ちなみにタパスという言葉が普及したのはここ100年以内で、スペイン王立言語アカデミー編纂の辞書で初めてその意味が取り入れられたのは1939年)。

    ジブラルタルを越えてやってきたイスラム文化の影響が濃く残るこの地域、レコンキスタを漸進させていたキリスト教徒側から見れば敵地であったこの地域。

    神話の英雄ヘラクレスが建設したという起源をもち、カエサルにより繁栄、トラヤヌス帝やハドリアヌス帝を輩出し(正確には近郊のイタリカ出身)、ヒラルダの塔やアルカサル(城塞)がイスラムの栄華を遺すセビーリャ。

    後ウマイヤ朝の首都となり、ヨーロッパ文化の知の中心都市として栄え、1000ものアーチが人々を圧倒する壮大なモスク「メスキータ」の街、コルドバ。

    レコンキスタを完遂したカトリック両王が永眠する王室礼拝堂を見下ろし、イスラム最後の王朝、ナスル朝の栄華と衰滅の歴史を体現するアルハンブラ宮殿を有するグラナダ。

    など、現在もイスラム文化に触れることのできる都市が点在しています。

    またスペイン全土の約80%、全世界の約30%のオリーブオイルを生産しているのも、ここアンダルシアです(ハエン県が最も盛ん)。

    ちなみにめっちゃ蛇足ですが、セビーリャで死に掛けたことがあります。
    工事中の大聖堂の脇を歩いていたら、すぐ後ろでグシャッっという音がしたので振り向いて見ると、水が満タン入った2リットル入り位のペットボトルがへしゃげていました(ToT)
    はるか頭上でおっさんが「Perdón(スマン)」と謝ってます。いやいや、おっさんスマンちゃうで!アンタ人殺しになってたかもしれんで!って思った、、そんなセビーリャの思い出です(笑)

    ・・・えーっと、すみません。
    そんなアンダルシアの料理です(笑)
    コルドバの料理を(セビーリャちゃうんかいっ!って突っ込まないで下さい)。

    「サルモレホ」はトマトを使った濃厚なスープ。
    にんにく、サッとボイルした玉ねぎ、バゲット、そしてたっぷりのトマトを使います。

    トマトは夏場が旬と思われがちですが、アンデス原産のため、実は春から初夏、秋から初冬の方が美味しいものが多いです(今や年中おいしいトマトがありますが)。

    やや冷やしたものに、うずらの卵と生ハムの角切りをのせてお出しします。バゲットをつけてお召しあがり下さい(^∀^)ノ

    さて、6皿目(確実にクリスマスコースが始まるまでには終わりません・・いや、予想外ですm(-_-)mでもクリスマスが終わったとしても、責任?を持って最後まで書かせて頂きます)。

    今年話題になったスペインの州といえば、カタルーニャです。
    11月9日に非公式ながら独立に関する住民投票を行い、80%が賛成票を投じました(ただし、投票率は37%)。
    私のバルセロナの友人は、その日のSNSで「歴史的な日」と記していました。

    カタルーニャはなぜ独立を目指すのか。

    まずは経済の問題。カタルーニャ州のGDPはスペイン全体の19%あり、国内一位です(額としてはデンマークに匹敵。ちなみに政府のあるマドリッド州は18%。※数字は2012年のもの)。中央集権国家として、税収は一度中央へ集められ、地方へ分配されます。

    それは当たり前のことですが、法律が定めるその差額の上限が、EU内でスペインがもっとも高く設定されています。つまりカタルーニャ州はEU内で一番不利な仕組みで自治をしていることになります。加えて国全体での経済の低迷、失業率の悪化、福祉の空疎化、ということにも不満を募らせています(国の愚策の巻き添えをくらったと思っている)。

    しかし、それが独立賛成の全てではありません。

    9月11日。この日は歴史的な日でもありますが、カタルーニャ人にとっては「カタルーニャ国民の日」という祝日です。

    では何の祝日か。
    それは「カタルーニャが死んだ」日です。

    1701年から、フランス・ブルボン家とオーストリア・ハプスブルク家はスペイン王位を巡って争いました。いわゆる「スペイン継承戦争」です。
    ハプスブルク側についたカタルーニャは最後まで抗戦しましたが、バルセロナが包囲され陥落し、敗北しました。

    それが、1714年9月11日のことです。その日以来、自治権が取り上げられ、カタルーニャ語の禁止など、アイデンティティの制御が始まりました。

    その後、産業革命や米西戦争の敗北を受け、一旦自治が回復しますが、フランコ将軍の独裁により再び弾圧されます。
    そして1978年にやっと自治が回復。カタルーニャ語の使用も認められました。

    以前も書きましたが、15世紀に、イザベル女王から「新大陸との貿易においてカタルーニャ人参加禁止(アラゴン・カタルーニャ連合は地中海で儲けていたので)」の命が出されたというように、中央との確執は歴史の中で連綿と続いてきています。

    当時は、カスティーリャ王国の方が力が強かったので、カスティーリャ語がスペイン語になったことも、カタルーニャ人としては気にくわなかったでしょう。

    経済問題とアイデンティティ、その両輪が「独立」問題を動かしているのだと思います。

    ・・・・危うくこのまま終わるところでした(笑)

    さて、カタルーニャは「美食」の土地です。

    世界一有名だったといっても過言ではないエル・ブジ(カタルーニャ語ではアル・ブリィ)、
    ミシュラン三ツ星を保ち続けるサン・パウ、斬新さでバルセロナのレストランを牽引するアルキミア、などの一流レストランから大衆的なバルまで、とにかく食べることが大好きなカタルーニャ人の胃を満足させるだけの数多の食事処があります。

    さて、そんな中からピックアップする玉ねぎ料理は(この連載を根気強く読んで下さっている方なら、このコースが「玉ねぎ」を主体にしたものだと覚えて下さっているはずです・・多分)、「カルソッツ」です!

    カルソッツは玉ねぎ(見た目はどうみても白ネギですが、直訳すると「白大玉ねぎ」というれっきとした玉ねぎ)を、丸焦げに焼いて、中の柔らかくなった部分を「ロメスコ」というナッツやトマトを使ったソースで食べるタラゴナ県の料理です。

    玉ねぎを長いままソースにつけて、上にかかげるように持って、上向きに口を開けて、1本丸々食べるのが正式な食べ方です。なので確実に汚れます(笑)

    さすがにレストランでその出し方はできないので、上品に盛り付けてみました(^-^)
    玉ねぎの代わりに群馬県産の下仁田ねぎを使っています。
    (玉ねぎとねぎが同種ということは「その8」で言い訳済みです笑)

    すみません、今回はいつにも増して長くなってしまいましたm(-_-)mバルセロナを拠点にしていたため、カタルーニャのこととなると思い入れが強いのかもしれません。

    7皿目はバスクの料理です!

    「バスク」と呼ばれる地域はピレネー山脈を挟んでフランス領北バスクとスペイン領南バスクと分かれます。
    スペインのバスク州の有名な歴史をひとつあげよと言われれば、それは間違いなく「ゲルニカ」でしょう。ゲルニカがバスクのビスカイヤ県にあることは知らなくても、ピカソのその名の絵は今も有名です。

    さて、先日「カタルーニャは美食の土地」と書きましたが、それはバスクの人に怒られるかもしれません(>Σ<)
    「うちの方が美食の土地だ」と。

    他の地域言語では(多分)ないと思いますが、バスクには「軽食」を意味する言葉が複数あり、朝の10時にとる軽食は「amarretako」、11時の軽食は「ameiketako」、午後の間食は「aparimeriemda」と呼ばれ、食べるものもそれぞれの時間に合わせて変えます。

    また、「美食倶楽部(ソシエダ・ガストロノミカ)」なるものがあります。会員制のクラブで、その名の通り「おいしいものを食べる」ための会です。某漫画の海原雄山氏主催のものと名前は一緒ですが、違う点がいくつかあります。

    1.女人禁制である(ところが現在も多い)

    2.会員皆で料理を作る(専属の料理人がいるわけではない)

    3.政治や経済について語る

    の3点です。

    1については現在は大分緩和されてきてるようです。が、美食倶楽部といえば、食べることが好きな中年男性が集う会というイメージが強いです。

    2はこれはプロ顔負けの専用キッチンを共同所有していて、そこでそれぞれが得意な料理を作り、皆に振舞います。

    3については、バスクの歴史とも関わりがあるのですが、1833年の第1次カルリスタ戦争までバスクは半独立状態を謳歌していました。しかし、自由主義勢力に敗北した旧体制を支持していたバスクは完璧にスペイン国家の中に取り込まれてしまいます。

    バスク人もカタルーニャ人に負けず劣らず独立心が旺盛で、美食倶楽部内においてもその時の政治や経済、バスク人のアイデンティティについて侃侃諤諤と議論することが常でした。ですのでスペイン内戦時には、美食倶楽部がフランコにより禁止されるという事態まで起きました。

    そんな、美食倶楽部。歴史有る会は100年以上続き、今も100以上の会があるとされます。定員は決まっていて、誰かが退会するまで新しい人はは入会できないため、「待ち」状態の人が大勢いるのだとか。

    さて、「美食の土地」バスクの料理は「バカラオ」を選びました!

    バカラオは塩漬けの干しダラです。
    北海道羅臼から真鱈を取り寄せ、自家製のバカラオを作りました。今年は真鱈が不漁で、身の厚いものが例年に比べて少ないらしいのですが、それでもおいしいバカラオができました(^-^)

    それを「ビスカイヤ風」にします。
    赤玉ねぎ、赤パプリカ、魚介のスープなどでソースを作り、その中でバカラオをさっと煮た料理。ソースをきちんと裏漉しして、それで素材を煮るという「丁寧」な料理は、他の地域ではあまりないように思います(笑)

    そんな「美食の土地」で生まれた料理を是非味わってみて下さい♪

    さて、気づけば今日からクリスマスコースが始まります。。。
    まず、、、、この連載が間に合わなくて申し訳ありませんでしたm(-_-)m
    しかし、ちゃんと終わらせます。
    そして、何よりご予約頂いた方々に楽しんで召し上がって頂けるような料理をお出しする所存です。

    すでにクリスマスコースは始まっていますが、続けさせて頂きますm(-_-)m

    次はお肉料理、「仔牛ほほ肉のカルデレタ」です。
    カルデレタはいわゆる「シチュー」のような料理で、にんにく、玉ねぎ、ワインなどと一緒に肉や魚をコトコト煮込みます。

    これはエストゥレマドゥーラという州の料理です。
    エストゥレマドゥーラ・・・今回のこの連載を書くにあたって多くの文献にあたりましたが、エストゥレマドゥーラについて書かれたものは、ほとんどありませんでした(>Σ<)

    その少ない中では、スペイン料理研究家渡辺万里氏の「アルカンタラ修道院のウズラ料理」が興味深かったです。「ウズラのアルカンタラ風」という料理のレシピが、かのオーギュスト・エスコフィエの「Le Guide Culinaire」に記されているということを知り、そのルーツを探るというのが主な物語のひとつ。ナポレオンのイベリア半島侵攻によってフランスに伝わったという事実はまさに歴史の綾だと思いました。

    それはさておき、エストゥレマドゥーラで有名なものと言えば、何といっても「イベリコ豚」。イベリコ豚は今やスペインの高級豚として知られていますが、実は100%純血の個体はイベリコ豚総数の約3~5%しかいません。

    その中でも最高級のものを「ベジョータ」と言います。「ベジョータ」はスペイン語で「どんぐり」の意。100kg前後まで管理して体重を増やした豚を「デエサ」という樫の木の森に放牧します。

    これを「モンタネラ」と言い、そこで豚たちは自由にどんぐりを食べて、最終的に体重を160kg前後まで増やします。どんぐりと言っても日本よりも巨大なもので、アルコルノーケやエンシーナと呼ばれる品種を豚たちは綺麗に殻を外して食べます(^-^)

    12月には「マタンサ」と呼ばれる、豚を食肉にし、冬の間の食糧備蓄のため、生ハムのように塩漬けにする行事が行われていました。ただ、現在では主に工場で処理されることが多く、エストゥレマドゥーラでも一部地域でしかマタンサは行われてないようです。

    豚と言えば、スペイン人はとにかく豚肉を良く食べます。これはレコンキスタ(国土回復運動)後の、キリスト教徒による異教徒迫害の名残で、イスラム教とユダヤ教で禁忌食物とされる豚肉を踏み絵代わりにしていた歴史の延長にあります。

    ・・・って、ここでの料理、豚肉じゃないのに、めっちゃ豚について語ってました(笑)

    とにかく、エストゥレマドゥーラは自然豊かで、牧歌的、歴史もあって、何より「肉がおいしい」土地、という私の認識です。そんな土地の仔牛ほほ肉の煮込みを召し上がってみて下さい!

    ちなみに1月の肉料理は「100%純血イベリコ・デ・ベジョータ」のばら肉を使ったポテという煮込みをご用意しております。ご来店お待ちしております!・・・と、さりげなく宣伝(゜∇゜)

    ふー。無事にクリスマスが終わりました!
    通常メニューでご利用の皆様からも頂きましたが、クリスマスコースでご利用のお客様にも嬉しいお言葉をたくさんかけて頂き、料理人冥利に尽きると思いました。本当にご来店ありがとうございました(^-^)

    さてクリスマスコースが終わり、時間に余裕ができたのでクリスマスコースのことを書けるというのも、なんだか本末転倒な気がしますが(笑)続きを書きます!

    料理最後の一皿、「パエリア」です。

    言わずと知れた「ザ・スペイン料理」。
    当店は通常メニューでパエリアをご用意してないので(要予約)、オープンしたての頃は「なんでスペイン料理店なのにパエリアがないの?」と良く聞かれました。

    「ただの反骨精神です」。というのは冗談で、日本の寿司やうどんと違い、スペインに行けば、どこでもパエリアがあるわけではないので、それを自分のお店にも当てはめた、ということと、後はオペレーションの問題があり、通常メニューにパエリアは用意していません。

    パエリアは伝統料理か否か。wikipediaでは「9世紀以降ムスリムによって」と書かれています。確かに起源となる料理はそこに見られるかもしれませんが、完成を見たのは19世紀、イベリア半島最大の自然湖、アルブフェラ湖周辺で生まれたといわれる比較的新しい料理です。

    パエリアはカタルーニャ語で「フライパン」の意味です。
    なぜ、バレンシア語ではないか。アラゴン・カタルーニャ連合王国がレコンキスタ(国土回復運動)の際、現バレンシア自治州の地域をイスラム教徒から奪回し、1237年にバレンシア王国を建国。内陸部をアラゴンが、海岸部をカタルーニャがそれぞれ支配し、それと同時に言語も根付き、カタルーニャ語の「フライパン」という言葉が使われた、という流れがあります。

    バレンシア語という言葉自体が独自の言語ではなく、カタルーニャ語の方言と位置付けされています。が、バレンシアの人はそれを非常に嫌がります。バレンシアは中央政府寄り、よってカタルーニャとは犬猿の仲です。

    その極端とも言える事件(?)が2013年に起きたちょっとした論争「パエリアに玉ねぎを入れるんか入れへんのか?」事件です(本来こんな名前が付いてるのかは知りません笑)。

    発端は「エストレージャ・ダム」というカタルーニャのビール会社のCMです。「Love of Lesbian」というカタルーニャ出身の有名インディー・ロックバンドが登場するこのCM。その中で巨大パエリアパンでパエリアを作るシーンがあります。海老にイカにムール貝などの魚介、そして玉ねぎも入るこのパエリア、とてもおいしそうです。が、このシーンに「物言い」をつけたのがバレンシアの人々。「あんなもんはパエリアじゃねえ。パエリアはもともと魚介で作るもんでもないし、玉ねぎとか入らん!」と。

    確かにバレンシアの伝統的なパエリアは、まず何より「ウサギ肉」と「カタツムリ」、そして「鶏肉」が入る場合もあり、それに「garrafon」、「ferraura」、「tabella」などの豆やインゲン類が入ります。そこには魚介が入る余地もなし、そして玉ねぎが入る余地もなし、です。

    放っておいてもよさそうなものを・・・と思うでしょうが、カタルーニャもカタルーニャで「パエリアは実はカタルーニャ料理」という意見を言ってたりするので、、まあ、どっちもどっちな気がします(笑)

    それにしても、、、それで一番困ったのは、西宮の片隅でひっそり「スペイン料理」をやってる日本人です(笑)

    なぜなら今回のコンセプトは「冨嶽三十六景の冨士を玉ねぎに見立て、スペインを旅する料理」だからです。最後の最後、バレンシアのパエリアで玉ねぎが使えない・・・それは困る!と、だから調べました。そして何とかバレンシアのパエリアでも玉ねぎを使うレシピを発見しました。ホッ( ̄∀ ̄)

    ウサギのロースに、インゲン、ひよこ豆やレッドキドニーなどの豆類、そして玉ねぎを合わせたパエリア。9皿目のパエリアで、さすがに皆様お腹一杯になってらっしゃいました。

    次は最後の一皿、デザートです!

    さて、最後の一皿デザートですが、、先に「言い訳」をさせて頂きますm(-_-)m

    このコースは「冨嶽三十六景の冨士を玉ねぎに見立て、スペインを旅する料理」というコンセプトです。

    冨嶽三十六景に見られる一つの対象物をテーマとした「連作」の魅力に触れ、葛飾北斎がなぜ「冨嶽三十六景」を描いたのかという原点を探り、それを「玉ねぎを主体としたスペイン料理」に当てはめ、各州を旅する、というコースを組み立てました。

    そして最後の到達点がデザートになるわけですが、、当然「玉ねぎを使った伝統的なデザート」がある州なぞ存在しません(笑)
    玉ねぎを焼いた汁を煮詰めてキャラメリゼするか、などと色々考えましたが、それは違うのではないかと思い、玉ねぎは使わず、クリスマスに食べられる伝統的なスペインのお菓子を色々ご用意することにしました。方向性は全然違いますが、裏冨士の「緒人登山」のような1作と思って頂ければ幸いです。

    まずはトゥロン。
    バレンシアの伝統菓子でフランスの「ヌガー」のようなもの。基本、アーモンド・卵白・はちみつを練り合わせて作ります。柔らかい「トゥロン デ ヒホナ」と固い「トゥロン デ アリカンテ」の2種類をご用意しました。

    次はマサパン。
    トレドのお菓子で、こちらもアーモンドの粉、砂糖、卵白を練り合わせて焼いたもの。外は固く中はもっちりずっしりして「スペインの饅頭」みたいなものと私は思っています。中にかぼちゃのあんを入れることもあります。

    そしてポルボロン。
    ポルボロンはこの中では一番知名度が高いかもしれません。アンダルシアのお菓子で、こちらもアーモンドの粉、薄力粉やラードを使った口の中で溶けるクッキーです。溶ける前に3回「ポルボロン」と唱えると来年良い事があるのだとか。

    どれも「アーモンド」をふんだんに使います(ちなみにスペインのアーモンド生産量は世界2位)が、これはヨルダン辺りが原産のアーモンドがローマ帝国経由でイベリア半島に持ち込まれ、イスラム教徒たちによって利用文化が開花したことが理由とされています。

    伝統菓子を広めるのはカトリック修道院の役割でした。寄進のお礼に、と菓子をお返ししたことから、それがその土地の菓子として定着し、いつしか貴重な生計の一部となっていたという歴史があります。どのお菓子も素朴なのはそういう理由もあるのだと思います。

    イスラムからカトリックへと受け継がれたと知ると、アーモンドを使った素朴なお菓子が感慨深くもなります。

    そしてもう一つの特徴としては「甘い」。クリスマスの1週間前くらいから作り始めるためか、とにかく甘い。甘いですが、その分コーヒーや紅茶によく合います。

    みなさま、ゆっくりとお食事後の飲物を飲まれながら召し上がって下さいました(^-^)

    これにて、valeの2014年クリスマスコースは終了です。
    お読み下さりありがとうございました・・・と言いたいところですが、あともう1回だけ続きます(笑)

    房総半島九十九里の南西にある東頭山行元寺。
    房総天台教学の拠点として発展し、江戸時代には大寺院となります。

    その行元寺に「波と宝珠」と呼ばれる欄間彫物があります。
    彫物大工・武志伊八郎が彫ったその作品は、55歳にして「自然を彫る」という気概のもと、自らが海に入り、荒れ狂う波を体感し、描いた下絵を元に彫り上げたもの。

    その「生きた」波の彫刻を見て、人々は敬意を込めて彫物師を「波の伊八」と呼ぶようになります。

    「波の伊八」がその下絵を描いた際に、行元寺に滞留していたもう一人の芸術家が葛飾北斎でした。北斎はその下絵を見て感嘆したとされています。

    それから約25年後、北斎の「波」が生まれ、それは50年後にゴッホを感動させ、ドビュッシーに「海」を作曲させることになります。

    その「神奈川沖浪裏」の冨士の部分、伊八の作品では「宝珠」となっています。これは航海の安全を願うためとされています。

    宝珠とは、仏や仏の教えの象徴とされ、地蔵菩薩などの持ち物として、現世利益を祈る対象物とされます。形状は下部は球形、そして上部は円錐形。似たものとして、それを擬した擬宝珠があります。

    擬宝珠の起源はひとつはそれ。もうひとつは葱坊主。葱の臭気を魔除けとし、形状を似せて作ったと言われています。

    どちらにしろ、爆風スランプの名曲「大きな玉ねぎの下で」は間違いではありません(笑)宝珠に似せた形状だとしても玉ねぎ、葱坊主にしても玉ねぎ。

    北斎の「神奈川沖浪裏」の冨士の部分が、原点である波の伊八の「波と宝珠」では宝珠であるということを、コース作成の途中で知りました。

    それは、感慨深いというより、出来すぎのような気がして逆に歯痒かったです(笑)

    料理はどう作ろうが、ようは「おいしいか」「おいしくないか」です。

    お客様はお金を払い、それを口にされます。
    そこには歴史や文化、ましてやコンセプトが介在することはあまりありません。

    現に今回のメニューでもB5サイズの紙には料理名と料理の説明を書いただけで、北斎の「ほ」の字もありません。

    今回のクリスマスコースは「純粋ではないスペイン料理」を言い訳(!)にしてる当店で、初めて「純粋なスペイン料理」をお出ししました。
    それは「作為」というよりはコンセプトに沿ってコースを組み立てると「自然」とそうなりました。

    ですので、このページを見ずにクリスマスコースを召し上がったお客様は、「スペイン料理の10皿のコース」を堪能して下さいました。

    私はそれで全然良いと思っています。この21回の連載は極端に言えば自己満足です。お客様がこのコンセプトを知って召し上がる必要は全くありません。

    その技法や由来、歴史的な位置付けを知らずとも、名画が名画であるように、料理も「どこ産の何々」や「新しい調理法」、そして「コンセプト」など関係なく、おいしいものはおいしい。6500円のコースを召し上がり、「おいしかった」と笑顔で帰られるお客様を見て、私は本当に嬉しくなります。

    ただ自己満足の追求はこれからもやめません(笑)こんなコンセプトで料理を組み立てる料理人が1人くらい居たって良いのでは、と思っています(^-^)

    そしてここまでその自己満足にお付き合い頂き、毎度長文を読んで下さった皆様に心から感謝を致します。本当にありがとうございました!

    valeは今日で年内の営業は終了。本年も多くのお客様にご愛顧頂き、嬉しく思っています。ありがとうございました。

    また来年も何卒よろしくお願い致します。

    関連記事

    TOP